自己紹介

会の発起人の自己紹介です。

私は、赤面恐怖・スピーチ恐怖・視線恐怖・会食恐怖などを抱えています。

外出するととても疲れてしまいます。気力体力を回復するため人より休息が必要になり、体力面でもかなり悩んできました。

 

今まで社交不安障害の他に、うつ病や自律神経失調症、線維筋痛症、機能性低血糖症と診断されてきました。長い間 摂食障害もありました。HSP(Highly Sensitive Person)にも当てはまるようです。数年前に発達障害があることもわかりました。

現在は家から出られるようになってきましたが、長い間ひきこもり(又はそれに近い)生活をしてきました。

 

大抵の方にはストレスにならないような些細なことに対しても、私の心や体には大きく反応が現れてしまい、その反応を対処できず苦しんできたように思います。敏感過ぎる体質と言えるのだと思います。

"自分の感情や思考は身体に表れるということを実感してきました。

 

私は、《敏感なこと=弱くて情けなくて恥ずかしいこと》と思っていたため、敏感な自分を否定して、できるだけ平気なフリをして生きてきました。

でも敏感さはそのまま変わらず、自分を否定する気持ちが強まっただけでした。

最近になって「この敏感さにも良い面はあるのかも…」と思えるようになり、克服したいことは努力して出来るようになりたいけれど、努力ではどうにもならないこと(敏感さ・疲れやすさなど)は受け容れていくしかないと思うようになってきました。

 

私が避けようとしてしまうのは、こんな場面です↓

・人前で話すこと(少人数でも怖いです)

・誰かと一緒に食事をしたり電車に乗ること

・人と親しくなること

私の場合、初対面より知り合いになっていくほど緊張やストレスが増えていきます。そのため、本心では寂しくて人と繋がりたいと思っていても、人との関わりが苦しくて堪らなくなり、結果、人との関わりを切るようにしたり親しくならないように避けたりして生きてきました。これは回避性パーソナリティ障害と言われるようです。

縞模様の服を着た鳥のイラスト

小学生の頃からこのような恐怖心を抱え、克服したいと思って頑張ってきたのですが上手く行かず、できない自分を自己否定や自己嫌悪して“私には価値が無い”と思うようになっていきました。

 

赤面恐怖・視線恐怖のため、人に顔を見られないようにと、薄暗い夕方にならないと外出できない時期もありました。

緊張する状況を前もって予想して避けるようになり、人や社会との接点を出来るだけ持たないようにして、ひきこもって生活するようになりまた。 

 

呼吸が苦しくなり、悪夢にうなされ眠れなくなり、体のあらゆる場所に激しい痛みが出るようになりました。日常生活が困難になり病院に通いましたが、原因が特定されず途方にくれていた時期もありました

 

社交不安症状について、服薬したりカウンセリングに通いましたが変化はなかなか実感できず、「克服は無理なのか・・・」と落胆した気持ちを抱えてきました。

常に予期不安や恐怖と共にいるため、顔は笑っていても心から楽しむという体験はできませんでした。

 

長い年月が経ち、「このままでは、私の人生は寂しいだけ」「人との繋がりを喜びに感じられるように変わっていきたい」という思いが募ってきました。

そして、「同じような思いを抱えている人たちと会って話をしたい」と思うようになりました。 

薄い緑色の鳥のイラスト

私は今まで自分の社交不安症的な悩みを人に話したとき、「気にしたら余計に緊張するから気にしない方がいいよ」と言われてきました。

私も「気にしない方がいい」と頭では分かっているんですよ… でもそこに意識が集中して気にしない状態ではいられないのです。だから社交不安障害は私にとって単純なものではありません。

 

「緊張するのはみんな一緒なんだから」という励ましのような言葉にも複雑な思いが生じます。これくらいで弱音を吐いたらダメ」とか「逃げたらダメ」と言われているように感じて、よけいに苦しくなる時もありますね…

 

同じ“緊張”という状態であっても、そのレベルは人それぞれで、心や体のストレス量(負担)も人それぞれ違うのだからひと括りにしないでほしいな・・・と思います

  

言ってくれた方に悪気は無く優しい気持ちから出た言葉だとわかっていても(いや、わかっているからこそかもしれません)悩みのツラさがちゃんと伝わらないもどかしさや寂しさを感じます。

 

みんな自分の体験や感覚を基準にして生きていると思うので、その違いを理解してもらおうとしても、それはかなり難しいこと。これが孤独感や孤立感に繋がっているのでしょうね。

 

このような経験をしてきた方も多いんじゃないかな…と思います。

 

社交不安症的な悩みを抱えて深く悩んでいる方は、実際はたくさんいるはず。

同じように悩んできた者同士が集えば、それだけで今まで感じてきた孤独感や孤立感は和らいでくるんじゃないかな…と思います。

これは、同じ傷を舐め合うということではなく、今まで「自分は普通ではない」という本来感じなくてよいコンプレックスを解消する効果があるのではないかと思っています。

マフラーをした鳥のイラスト

私は、「SADがバレたらバカにされる。だから誰にもさとられないように」と思いながら生きてきました。でも、そういう気持ちでいるとますます孤独になって緊張も大きくなっていきました。

 

孤独な状態で闘っていたら(=抱えている怖れを誰にも見せないように頑張っていたら)エネルギー切れになりやすいんですね…そんなパターンを繰り返してきて、「自分を隠そうとしながら頑張り続ける今までのやり方では上手くいかない」と思うようになりました。

 

抱えている不安・緊張・孤独感などをどうしたら生きやすい方向に変えていけるのか?と長い間思ってきましたが、自己肯定感を育てていくことが鍵であると分かってきました。

 

方法はいろいろあると思いますが、会で行っている『言いっぱなし聞きっぱなし』はそのひとつだと思います。

 

今まで心の中だけに留めてきた気持ちを勇気を出して話すこと。そしてそれをただ聴いてもらうこと。この体験をすると、不思議なことに自分を認める気持ち(自己肯定感)が育っていくように思います。「自分の気持ちを隠さずにそのまま出していいんだ」と感じる体験です。

 

さらに、共通する悩みを抱えている方の話を聴くことは「悩みながらみんな生きている。悩んでいるのは自分ひとりじゃない」という感覚を持てる貴重な時間だと感じています。こういう感覚も自己肯定感に繋がっていくように思います。

 

まずは『ぼちぼちつながろう会』が安心できる場所だと感じて頂けるように と思って活動しています。

 

私たちの気持ちがラクになり自由になり、少しずつ生きやすくなっていきますように…!

 

会の発起人:宮園りんご(2018年2月)  

ピンク色のふくろうのイラスト

私とカウンセリングについて

私は、社交不安障害SADの症状(私の場合、異常な程の緊張·赤面·声の震え·多汗)で長い間苦しんでいたので、そのSAD症状を無くすためにカウンセリングに通い始めました。

私を苦しめている原因はSAD症状そのものであり、その症状を消してくれる魔法がカウンセリングにあると私は期待していたのだと思います。

でも魔法はありませんでした。私は自分以外の誰かが(先生が)私の症状を治してくれると思っていたのだと思います。そんな私だったから、SAD症状の改善は見られず私はガッカリしていました。

 

ただ、私のモヤモヤした感情をカウンセリングで話しているうちに、SADの症状以外にも自分が膨大なストレス(生きづらさ)を抱えて生きていることに気づきはじめました。

 

それまでの私は「この症状だけが問題」と思っていて、症状だけに意識が向いていましたが、症状と思考に関連があるとはじめて気づいたんですね。

 

そうして、「私の苦しみは、すべて私自身の思考のクセ(物事の受け止め方)からきているのかもしれない」「私が深刻なSADに陥った原因も、私の思考のクセ(物事の受け止め方)からきているのかもしれない」と思うようになっていきました。

 

ということは、「生きやすい方向に思考(物事の受け止め方)を変化させていけば、私のSAD症状(赤面など)の受け止め方もラクになっていって、そうなったら緊張のレベルも下がっていったり、SAD症状自体も軽くなっていくかもしれない」と考えるようになりました。

 

その頃から私は、生活の中で感じたストレスをできるだけ意識して拾い、それをカウンセリングで話して、私の物事の受け止め方をどのように変えていけばラクになれるのか、気づいていこうと思ってやってきました。

 

そうして徐々に、私に最も必要なのは『自己肯定感』だとわかってきました。「そのままの自分でいい」と心の底から思えているかどうか、ということ。

 

この自己肯定感があまりにも低いと、大変生きづらくなってしまいます。人の目を気にして必死に頑張り過ぎたり、人と自分を比較して落ち込んだり、すぐ焦ったり妬んだり・・・。自分がどっしり立っていないので、簡単に人に振り回されてしまうんですね。人だけでなく、自分の症状にも振り回されやすくなると思います。


『私の物事の受け止め方の修正とは、この自己肯定感を増やしていくこと』と言えるほど、自己肯定感は重要だと感じています。私の自己肯定感は、まだ芽が出たばかりの状態ですが、以前よりラクになってきたように感じる時があり、この方向に進んでいけば良いのだと思えるようになってきました。

縞模様の服を着た鳥のイラスト

不安なとき行き詰まったときの杖

自己肯定感が高まってくると、周りのことに煩わされなくなり、心身ともに安定してくると思いますが、そういう状態に至るまでの期間、頼りになるもの(心の支えになるもの)を見つけておくとよいと思っています。

 

行き詰まった時や落ち込んだ時の助けになってくれる方法や人や場所。

足首を捻挫したとき、普通に歩けるようになるまで、支えになってくれる“杖”みたいな存在ですね。

 

そのままの自分の気持ちを話せる人が居たら、大きな力になってくれますね。話すだけで安心できたり、共感してもらえたら自己肯定感も高まったり。

 

でも・・・

そのままの自分の気持ちを話せる人が居ない場合もありますね。

それに、思いきって話をしても、否定されてよけいに苦しくなる場合もありますね。

 

このように、支えてくれる“杖”が見当たらない時はどうしたらいいのでしょうね。。

 

とても疲れているなら、まずはゆっくり休んで、それから、今の自分に合う“杖”を諦めず探していってもらいたいな…と思います。

 

自分の気持ちに寄り添ってくれる本に出会えたら、大きな心の支えになってくれるかもしれません。

苦しい気持ちの解消になりそうな方法を見つけたら実際に試してみたり、今までと違う考え方を取り入れたりすると、少しずつラクになっていくかもしれません。

 

自分が楽しくて没頭できる趣味を持っている方なら、その趣味の集まりに思い切って参加してみるのはとてもおすすめです。楽しい共通の話題がたくさんあると話しやすいし、趣味の話をしているだけで気持ちが軽くなると思います。

 

楽しい時間を持つことは、とてもとても大切なんだそうです。

『自分の楽しい(心地よい)気持ちに気づき、それに応えてあげること』=『自分を大切にすること』で、それは『自己肯定感』を上げることになるのだそうです。

 

自分に合いそうな自助グループを訪ねてみるのもおすすめです。

自助グループで繋がるメリットは、自分と共通するテーマで悩んでいる人たちと出会えることです。他ではなかなか話しづらいような深い話が聴けたり自分も話しやすいと思います。繊細な話が多くなるので、その場で出た話は他に漏らさないなどの心遣いは必要になります。

 

人と対面して話すのが怖い場合は、電話やチャットで繋がれる人や場所を探すときっと見つかると思います。

 

私の体験の話になりますが、近所の人の「こんにちは、今日も寒いですね」といった簡単なあいさつに救われたことがありました。

私が落ち込んでほぼひきこもり状態でになり孤独感が強いときでした。笑顔で声をかけてもらて、その何気なさが心に染みました。

お互い詳しく知らないからこそ救われるありがたさってあるんですよね。

 

その体験があってから、人との繋がりは、温かさを感じられるものならどんなにささやかであっても「ありがたいんだな…」と思うようになりました。

 

 そういうささやかな繋がりも含めて、コミュニケーションできる場所を複数持っておくと、1つの場所がストレスになってそこに居られなくなっても、まだ他の居場所があって救われることになります。

 

  「自分が気負わずに居れて、安全で心地良いと思える」という感覚があったら、それは自分の心の杖になってくれます。

 

今の自分が心地よく繋がれる何かを見つけること。それは、自分を助けること。

 

ぼちぼちつながっていきましょうね。


コンプレックスと自己肯定感と発達障害

今までを振り返ると、私は「自分は変わっている、普通の人が出来ることができない、普通になりたい」とずっと思ってきたように思います。

人は皆それぞれに特徴を持っている個性的な生きもの。だから考えてみると本当は普通なんて存在しないんですけどね… でも、私は人と比べて、多くの人ができて自分ができないことや人と違う部分を見つけては「自分はダメだ」と思って落ち込み、自己嫌悪に陥る日々を過ごしていました。 自分の特徴とただ捉えればいいことをコンプレックス(劣等感)に思う反応をしていました。

 

苦手なことを努力して1つ2つと克服していければコンプレックスも小さくなったと思いますが、私の場合、苦手なことを努力しても克服できなかったので、できない自分に「どうしてこんなこともできないの?!」と怒りが湧いていつもイライラするようになりました。

落ち込んで、自己嫌悪して、自分を激しく責めることを延々と続けていました。

 

そして、そのイライラが激しくなっていき、自分の外に(人に)そのイライラを出さないよう抑えることが大変な労力となっていきました。特別何もしていないのに毎日クタクタに疲れるようになっていきました。

 

イライラしてクタクタになりながらも、私は長い期間、出来ないことを出来るようになろうと努力してきたと思います。でも「出来るようになっった」という手応えを感じたことはありませんでした。

 ある日ふと、努力をしても改善していかないことに疑問を持つようになり、それが発達障害の可能性を考えるきっかけとなりました。そして検査を経て発達障害と診断されました。

 

診断されてショックが無かったとは言えませんが、「今まで出来なかったのは私の頑張りが不足していたのではなかったのだ」と思って、自分を責める気持ちが緩んだことは確かです。それによって私自身に対する怒りやイライラはかなり減ったと思います。「このぐらい出来ないとダメ」という強いこだわりが薄らいできたように思います。

 

 また、昔から私は「自分がどんな人間かがわからない」「自分がどうしたいのかわからない」というモヤモヤをいつも抱えていたのですが、診断後に発達障害とはどういうものかを自分なりに学び、自分に対する謎が解明された部分があり、以前よりモヤモヤが減ってきたように思います。

 

それとこれは診断後の話ですが、自分が発達障害であることの受け止め方がわからないモヤモヤもありました。自分が「発達障害を持つ人間である」ということをどの程度意識して生きるのが正解なのか?と。これはそれまで形成してきた「自分はこんな人間」というアイデンティティが、発達障害というピースが増えたために再構築を迫られ生じたことによるモヤモヤだったのだと思います。

 

こちらのモヤモヤは、発達障害の自助グループや就労移行支援の事業所で出会った方と接することで解消されていったように思います。これに関しては頭の理解より体験が効果的でした。

 

発達障害と診断されてから1年半程は気持ちの揺らぎがかなりあり、今は3年経って「自分はこんな人間」という感覚がだいぶまとまって落ち着いてきました。

話をコンプレックスに戻しますね。

 

いま私は、昔から溜めてきて巨大になった自分のコンプレックスをときどき見直して点検しています。「コンプレックスだと思い込んできたことも、見方を変えると良いことだったりするんじゃないかな…」と思って。

自分がコンプレックスの嵐の中にいるときは、コンプレックスを見直して点検することはしんどくてできませんでした。だから以前より精神的にラクになっているのだと思います。

 

これからは《コンプレックス》は減らしていって、《自分を大切に思う気持ち》を増やしていきたいな…と思っています。

 

私がいま目指しているのは、いつもただシンプルに穏やかに受けとめること。

例えば、大抵の人ができて自分にできないことがあったとき、「そっか、自分はこういうことは苦手なんだな」と素直に受け止めること。出来なくて困った場合は、出来る人を探して素直に助けを求めること。

こういうことを自然にさりげなくできている人こそ真に自己肯定感のある人と言えるんじゃないかな…と思います。

 

まぁ その境地にいくのはやはりまだまだ難しいのが現実で・・・

 

だから少しずつでいいですね。

「急には変わらない、それでいい」という覚悟をしてぼちぼちいけばいいですね。

 

宮園りんご(2023年10月)